錆びたつらら

凍って錆びて、折れるまで

麦茶当番

毎日満員電車に乗らなくていいという免罪符を与えられた代わりに、私には一つ労働が与えられた。
その名も「麦茶当番」
 
リビングの麦茶を切らさないように、タイミングを見て作り替えていくという作業である。
一見誰にでもできる簡単な仕事である。
実際簡単なのだが、私はこれを完ぺきにこなそうと考えた。
 
家族が全員滞在している時は、すごい勢いで麦茶が減っていく。
空になったボトルを洗浄し、お湯を沸かし、麦茶パックを入れる。
麦茶を飲む。洗う。お湯を沸かす。パックを入れる。
 
気になったらリビングへと降りていき、麦茶の様子を確認する。
理想は2本満タンになっている状態を保つことだ。
 
どうってことない仕事なのだが、これが私に一種の安らぎや達成感を与えてくれた。
麦茶を作るというルーティンが、ささやかな達成感に繋がる。
なにより麦茶は美味しい。
 
病気で寝込んでい時に、少し起き上がることができるようになったら、
社会進出の練習として、「麦茶当番」に立候補してみるのもいいかもしれない。

私の理想

私の理想を語ろう。
 
北海道一周を例に挙げる。
ゲストハウスを転々としながら、廃線直前の鉄道を制覇する旅に出る。
途中で、今にも壊れそうな橋を見て写真に収める。
可能であればダムにも足を運びたい。
 
旅の途中で、気に入ったゲストハウスに出会ったら、
そこでフリーアコモデーションをしながら滞在させてもらう。
旅で見たことを書いて、ブログへアップする。
それと同時にライター業にも挑戦。
雨の日はゲストハウスで執筆活動。
晴れた日はゲストハウスの周辺を散歩。
北海道の大自然の中で本を読んだり文章を書いたり。
 
夜になったら、ゲストハウスで出会った人と語らい酒を飲み、そして寝る。
朝が来たら、近所を散歩。
ゲストハウスの手伝いをしたり、執筆活動をしたり、遠出したりを繰り返す。
 
自分の気が向いたら、他のゲストハウスへ足を運んでみる。
 
そんな旅を続けて、そしていつか、自分の本を出版したい。

旅とブラジャー問題

久しぶりに旅の準備をしている。
心と時間に余裕がある時は、心なしか旅の荷造りが楽しく感じる。
 
旅の計画は好きだ。
旅をすることも好きだ。
でも、荷造りがとても嫌いなのである。
 
荷造りは面倒だ。
いかに荷物を少なくするか、洗濯しなくて済むには何を着ていくべきか、
パンツは何枚持っていくべきなのか。
 
最大級に面倒なのはブラの収納。
ワイヤーだし、カップは立体的だし、やたらかさばる。
そしてあまり無下に潰したりするわけにはいかない。
 
なんて面倒なことだろう。
ランジェリーケースなどというものが販売されているが、
私のブラはサイズオーバー。
大きすぎて一般的なランジェリーケースには収納ができない。
とことんマイノリティに厳しい世の中である。
これは自慢でも何でもないただの嘆きである。
 
ぜひとも大きいカップ用のランジェリーケースを開発してほしいものである。
3泊分くらいブラジャーがコンパクトに収納できたら万々歳である。
即刻購入し、ブログで紹介し知人にプレゼントするレベルで求めている。
 
旅とブラジャー問題は切っても切れない問題だったりするのである。

抹茶白玉フローズン

目の前に友人が座っている。
彼女はずずずっとチョコレート抹茶ラテを吸い込んだ。
 
私の前には抹茶白玉フローズン。
白玉がちょっと凍ったタイミングでシャリシャリもちもちしながら食べるのが好きなのである。
アイスは抹茶がいい。黒ゴマアイスでも可。
抹茶アイスを最初はそのままいただく。
少しずつ溶けて行って、抹茶フローズンと融合したらそのまま飲み込む。
そしてシャリシャリの白玉をぱくり。
幸せな瞬間である。
 
友人の後ろには、ドレスが飾ってあるブティックがある。
信じられないような体型をしたマネキンが来たドレスは、どれも素敵に見える。
すごくかわいいし、私も着てみたいと思う。
 
でも私は知っている。
ドレスが素敵に見えるのが、スタイル抜群なマネキンが着ているからだ。
とんでもない美人なモデルさんが着ているからだ。
 
抹茶白玉フローズンを平らげている私に似合うドレスは、いったいどこにあるのだろうか。

死にたい?

あー死にたいって思う。
これをたとえば友達に伝えたらどんな返事が返ってくるだろう。
「死んじゃだめだよ」「世の中には楽しいことがもっとあるよ」「今はゆっくり休みなさい」
などという、慰めの言葉が返ってくるだろう。
 
ネット上で呟いたらどうなるだろう。
友達と同様に慰めの言葉が返ってくるだろう。
それにプラスして「だったら死ね」「消えろブス」なんて言葉も返ってくるだろうか。
怪しいセミナーに誘われることだってあるかもしれない。
 
別に本気で死にたいわけじゃない。
でも、ふと頭に浮かんでくるのは「あー死にたい」の文字。
それ以外に今の気持ちを表す言葉を知らないだけなのかもしれない。
 
「天に召されたい」(召されたい)
「消えたい」(消えたい)
「アマゾンの奥に置き去りにされたい」(アマゾンの奥はやだ)
「大切な人に会いたい」(会いたいかもしれない)
「めちゃくちゃにエッチをしたい」(今はいいや)
「遠いところを放浪したい」(とてもしたい)
「誰かを殺したい」(そんなことはとてもじゃないけど無理、他人は傷つけない)
 
やっぱり放浪するのが一番なのかもね。

ヤクをキメる

夕食でお腹がいっぱいになった私、手にするは2粒の怪しい白い錠剤。
ニヤリとしながら飲み込む。普段錠剤が苦手な私でも、小さい粒だからすぐに飲み込めた。
ゴクリ。
悪いことをしているわけではないのに、悪いことをしている気分になる。
まさか自分が服用することになるなんて、2週間前の私は想像だにしなかったからだ。
 
うつ病」「休職」「精神安定剤
どれも無縁だと思っていたキーワードが、すごい勢いで降り注いできた。
なんだこれは、あれよあれよとうつ病と診断され休職へ。
まぁ頑張りすぎたし、こんなもんかと思いつつ、明日から仕事はいかなくていいんだという解放感も相まって、なんだか複雑な気持ちになっている。
 
うつ病
ふぅん、なってみると案外こんなもんなのか。
もっと延々とどん底の気持ちが続いていくのかと思ってた。
 
「休職」
ふぅん、こんなもんか。
朝いくらでも寝坊できるけど、身体はちゃんと朝6時に目覚めるもんだね。
 
ふぅん、これ私が飲むのか。
飲むのが怖い。麻薬みたいだ。
今、初めての経験をしている。
 
いっそのこと、この状況を楽しんでしまおう、人生は全てがネタだ。
次友人に会った時、面白おかしく話してやろう、それくらいの気概で生きていきたい。
 
「薬を飲んだという事実」に興奮しているのか、
「実際の薬の効果」で興奮しているのかは分からないけど、
落ち込んでいた気持ちが少し上向きになっている気がするからすごい。
 
この勢いで、溜まってるラインを消化しよう。
友人や職場の人から心配するラインが飛んでくる。
ものすごく時間をおいて、ゆっくりと返事をする。
いつもそうだし、まぁ許されるだろうね。

うつ病

うつ病になった。
うつ病になる前兆はなくて、あれよあれよと崩れていった。
心療内科へ行き、もらった診断は「うつ状態
2か月の自宅療養を余儀なくされた。
 
深い海の底へ沈んでいる気持になる。
ゆらゆらと鯨のように、確実に沈んでいく。
一度沈むと、地上に上がってくるのが難しい。布団の中でじっと耐えるしかない。
 
ご飯の時間になるとリビングへ降りていく。
両親は私の顔や態度を見て、その時の状態を察してくれているのだろうか。
本当に何も話せないときは話さない、話せない。
昨日も夕食後、「お父さんと話さないの」の引き留められたけど、「今は話せる元気がない」と言って自室へこもった。
気分がいい時は何だって話しちゃうのに、なんなんだろう、この違いは。
 
薬を飲むと眠くなる。
無理やり活動しない限りは布団に入って2時間くらいうとうとしているのが一番良い。
すぐに眠れるほどの眠気じゃなくて、でも本を読むほど元気でもなくて。
ぼーっと動画を見ることしかできない。
 
「死にたい」と思う。
本気で「死にたい」と思っているわけではない。周りの誰かに言おうとかという気持ちにもならない。
海の底へ沈んでいる時は、ぼんやりと「死にたい」と感じる。
おそらく私の目は恐ろしく暗いだろう。今もそうだ。
何かを呪っているかのような、そんな目。
 
誰かにあっている時は、「死にたい」とは思わない。
でも普段よりパワーを使っていることだけはわかる。
エネルギーを使って、笑顔になって、自身をネタにして。
 
明があれば暗がある。
今はその「暗」がちょっとだけ長くて深いだけ。
 
未来のことを明るく考えたと思った直後、悲観的になる。
感情がジェットコースターみたいに揺さぶられる。
 
なんてことを一人、カフェの隅っこで考え続ける。